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森アトリエについて

森アトリエ代表・森映子は昭和9年(1934)に森義利の長女として日本橋浜町に生をうけました。

女子美術大学工芸科卒業後、父の染色の仕事を手伝っておりましたが、昭和32年(1957)、父・義利が第一回国際版画ビエンナーレ展に出品し、浜口陽三(銅板)と最高賞を競い、この大賞を逃したものの自信を得、版画家として再出発する決意を持つ大きなきっかけとなったことで、その後の生活の責任を母・以久と共に背負うことになり、この時点から【森工房】を引き継ぎ、染色家の道を歩み始めます。

25歳から49歳までの約25年間を染色作家として、途中【森工房】は父から独立、恵比寿に工房を移し、数人のスタッフと共に独り立ちとなったのです。

父・義利は、昭和32年児島徹郎氏の日本橋画廊と専属契約をして昭和33~40年、毎年個展を開催することで、版画家としての基礎を固めていきました。この頃、映子は日本橋画廊のスタッフとして働いていたポール渡部と知り合い、後に渡部が昭和40年(1965)麻布台にポールギャラリーを設立する一助を担い、ポール渡部の公私にわたるパートナーとして、彼の生涯が終わる昭和57年まで共に生きました。

ポール渡部がその生涯を終えた時、森映子は48歳でありましたが、彼と共に営んだポールギャラリーへの想いは、ポール渡部への思慕であり、銀座に画廊を移し、以後の10年間は彼へのレクイエムを捧げ、主に抽象画、あるいは国吉康雄、クレーデルボー、ヴィンダリッヒなどシュールリアリズムを主体に営んでまいりましたが、平成3年に森義利は93歳で永眠いたしました。

これをひとつの転機に画廊を閉じ、平成4年に染色工房【森工房】が【森アトリエ】と生まれ変わり、森義利作品を扱う画廊として新たにスタートを切りました。その後の10年ほどは、彼の展覧会などを各地で開催してまいりましたが、現在はいまの時代の方々にもより多く知っていただきたく、各種グッズ製品なども手掛け、歌舞伎座5階ギャラリーの売店などで販売しております。

森映子

ポール渡部については機会が与えられればより詳しく解説したいと思っております

代表 森映子
事業内容

・森義利作品をモチーフとした商品の開発および販売

・森義利作品の著作権管理

・各種美術品の売買

所在地

〒158-0091

東京都世田谷区中町

※個人宅なので住所詳細は省略させていただきます。お問い合わせいただきやり取りさせていただいた方には個人情報をお伝えいたします。

ホームページ http://moriatelier.com/
web管理者 浦田浩志

森義利

合羽版を摺る森義利合羽摺りという技法を用いた、合羽版を考案した日本を代表する版画家。生まれ育った東京下町の風物や歌舞伎、武神、歌舞伎、源平合戦などをテーマとした力強い作風が持ち味。ダイナミックな『動』の作風に魅了された国内外のコレクターにより、作品の多くはいまも愛蔵されている。

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