森義利への評価
久保貞次郎 元・町田市立国際版画美術館館長 美術評論家
森義利の芸術
芸術は自己を見つめ、本能にかえり、一切の禁止をふりほどくところから誕生し、生長する。義利が染色職人としてどんなにながい年月、自己を抑制して来たことか。かれが「動」だと叫ぶときは、自己解放の宣言であり、主体性の確立を内心誓っていたのであろう。
「動」とは自己発揮であり、自己の内側に熱中することであり、自己矛盾の併合であり、自己拡大への発展でなければならぬ。義利の作品が活力にみち、陽をはじき返すような鮮やかさのバイタリティにあふれるのは、彼の自己の内部の声の命令に従う、すなおさのたまものである。
かれの作品の現代における魅力は、かれの内なる生命力をいかに、伝統的技法のなかで生かすかの格闘にある。
源氏の女主人公たちが、かぐわしいエロティシズムを放つのは、性は人間の生の根源であり、作者が人間の根源にたち戻ろうとする証しである。かれは永年培った職人的技法を大きく変革し、奔放な色彩やフォルムを駆使してやまない。精神が形式を変革する。源氏に登場する女たちを通じ、義利は性の解放を唱え、人間性の回復を主張する。
かれはかつて次のように書いている。「その絵を見る人の心に飛び込んで来るような、説明を切り捨てるような作品を、私なりの日本的ムードの中に育ててみたい」(「美術ジャーナル」六二年四月)と。説明を切り捨てよ、これこそ、かれが表面的な合理と訣別しようとする内心のことばである。森義利は幸いにも学校教育などに災いされるひまもなく、ただひたすらに下町庶民の生活のなかで生活を貫く力を身につけながら苦難に耐えて生き抜いてきた。そのおかげで、八〇才に近づきつつある今日なお、幼児の純真さを失わず、柔軟な心で、自己にますますたち帰ろうと決心する。これはかれの作品が、古き衣を借りながら、現代に生き花さくよりどころである。ここにかれの芸術に共犯者的ファンが生れる秘密がある。
一部を抜粋
小木新造 元・江戸東京博物館館長 歴史民俗学者
森義利の下町図絵を見て
森画伯は六代続いた魚問屋の倅として、明治三十一年日本橋魚河岸のど真中、本船町に誕生した。画伯にとって真珠の輝きにも似た清流の隅田川には数々の思い出があろう。
網の目の様に張り巡らされた掘割は多感な少年期の心に深く焼きついた印画紙のような都市景観であったに違いない。
たとえば、「少々昔の下町図絵」と題された合羽版を見るがよい。この絵は四通八達する水路に荷足舟(にたりぶね)や高瀬舟、そして屋形舟を浮かばせているにすぎない。だが吉原がよいの猪牙舟や銚子がよいの外輪船までも連想させる効果を発揮しているのである。さらに、かつて管弦の巷であった中州を真砂座を中心に描いている。だがそれが写真で見るより、リアルに感じられるのである。
このように描かれた対象以外にも夢をどんどんふくらませてくれるのは何故だろうかと思う。それはどうも下町に愛着の強い森画伯の心を無視しては語れそうにない。「下町図絵」には対象を深く見詰める姿勢がありありとしている。やがて対象の芯を発見するとそれは真に置き変える。そうした上で、心の赴くままにデフォルメしてゆく。そんな勝手な推察は許されるべくもないが、そう思えるほど、この絵には遊びがあり、ゆとりがある。そしていささかのけれんもないのである。
森画伯の「下町図絵」は詩情豊かに、ある種のなごみを感じさせる。そして明らかに動の世界を演出している。どこかに躍動するダイナミズムがある。私はこんな不思議な独創的な絵画を他に知らない。
一部を抜粋